「万年青」
みなさんは、この漢字の読み方をご存じでしたか?
…因みに天使(あまつか)は知りませんでした;;…これは秘密で!
万年青(おもと)は、古くは薬草としてや、引越し万年青(ひっこいしおもと)やお祝い万年青(おいわいおもと)、生け花としても用いられてきた歴史があります。
また、雪隠万年青(せっちんおもと)のように、外のトイレの脇に万年青(おもと)を植えることで不浄な場所を清浄にする、という意味合いや、引越しの際には入れる所や、屋敷の鬼門の方向に万年青(おもと)を植えるなど、風水でも大切にされた植物でありました。
それ故、新築や引越しのお祝いにうってつけな素敵な万年青(おもと)です。
万年青(おもと)の多種多様な使われ方をしてきたので、実は別名も大変多く存在しているようです。ひょっとしたら植物の中でも一番別名を持つボタニカルかもしれませんよ!
そんな昔から縁起がいいモノとして万年青文(おもともん)をご紹介致します!
万年青(おもと)とは?
万年青(おもと)が意味するのは、冬も枯れずに、万年、青々としているその姿のことをいっていて、常緑多年草を意味しています。つまり万年青(おもと)は、ユリ科の常緑多年草であることからその名がついたようです。
日本と中国の山地に自生し、肥厚した地下茎から多数の濃緑色の葉を出します。葉は長さ約30〜50センチで、厚くて艶があります。
毎年初夏に短い茎を出し小さな花を穂状に咲かせ、初冬に赤い綺麗な実を実らせます。徳川家康が江戸城に入る時、万年青を床の間に飾り入城したと云われ、その後の繁栄をもたらした事から、災難を防ぎ、子孫繁栄の吉祥として縁起の良い植物とされています。
万年青(おもと)の花言葉は、「長寿」「崇高な精神」「長命」「母性の愛情」です。
万年青(おもと)は、一年中緑の葉を茂らせていることから、庭に植えると災難を防ぎ、家が万年栄えるといわれています。「長寿」「長命」の花言葉は、その様に由来しているようです。
濃い緑の葉に包まれるようにして赤い実がなる様子は、母親が子供を抱きかかえて慈しむ姿と重なることから、「母性の愛」という花言葉がつけられました。
万年青(おもと)の野生種は、お正月頃に赤い実がなります。日光東照宮や北野天満宮の400年前の万年青(おもと)彫刻にも赤い実を付けた万年青(おもと)が彫ってあります。約600年以上の歴史があるとも言われる生け花の池坊は、お正月、結婚式などの祝いの席に万年青(おもと)を実付きで立てます。赤い実(子供)を青い万年青(おもと)の葉(母)が包むように育つ万年青をみて、「母性の愛」という花言葉が生まれたのでしょう。
万年青(おもと)の園芸は、古くは園藝と書き、その藝は、植物に手を添え、土を植えることを意味しています。藝術はもともとは、高貴な人の植物を楽しむことでした。古くから高貴な人の生け花や、趣味として発展してきた万年青の花言葉に、「崇高な精神」が入るのは当然かもしれません。
万年青(おもと)は、20以上の別名を持つ、植物の中でも別名の多い植物です。それは、様々な日本人の文化、歴史に関わってきたために付けられた名前です。その万年青(おもと)の別名を見ていくことで、日本人が昔どのように万年青(おもと)を見ていたのか、どのように万年青(おもと)を日々の生活で使っていたのかがわかるので紹介します。
年青、萬年青、天福の霊草、霊草、老母草 冬不凋草 不老草 レイロ・リロ(藜蘆、藜芦、莉蘆、黎蘆)、縁起草、吉草、長寿草、辛抱草(しんぼうぐさ)、イワラン、烏木毒、蒀、於茂登、御許、母人、大本、大元、ももよ草、百代草、不毛草…などなど
万年青(おもと)は、この漢字からも伝わる通り、いつも青々と色褪せず、葉の様子も張りのある美しい緑をしている事から長寿や健康を司る縁起の良い植物として日本では400年も前から交配が繰り返され1000種以上の豊富な品種があり親しまれ愛されてきた古典園芸植物です。
【大葉系】葉の長さが30~40センチにまで成長。こののびやかな姿に運勢の上昇を連想
【中葉系】下記の3種類あり20センチ前後の中型サイズまでに成長。
『薄葉系』中葉系中でもやや小柄で葉が薄い。
『獅子系』葉先が内側に向かってカールしていて、葉の先端がうねったようにカールする葉芸を愛でられユニークな形状
『縞甲系』葉が細長く厚みがある
【羅紗系】小ぶりな5センチ前後で重なる整った葉を持つ。
などがあります。
室は今、私たちが楽しんでいる園芸としての万年青(おもと)は江戸時代の園芸ブームで大きく花開いたものです。
徳川家康(とくがわ いえやす)と万年青(おもと)
久能山東照宮の万年青彫刻は、徳川家康公が特に万年青(おもと)を大切にしていた事から彫られたと伝えられています。
江戸時代初期から、万年青(おもと)は園芸に用いられてきました。3代目将軍徳川家康が、「家臣から献上された3本の万年青(おもと)を携えて江戸城に入城した」という故事が残されています。その後、長い期間江戸時代が続いたことから、今も縁起のいい植物とされています。当初は大名が好んで栽培していましたが、徐々に市民へと広まり、江戸中期にブームとなって多数の園芸品種が生み出されました。
冒頭でも記載した様に、万年青(おもと)の栽培の歴史は、400年以上とも言われるそうです。
古くは徳川家康が江戸城へ入る時、家臣の中に万年青を献上したものがいるとも伝えられるようです。江戸時代は主に大名のもとで栽培が行われたみたいです。元禄から享保年間の書物には斑入りの万年青(おもと)が掲載されたものがあるそうです。このころより、栽培がある程度は一般庶民にも広がったようです。文化文政のころには、縞や矮性のものも栽培されるようになり、その一部は利殖の対象となったみたいです。このころは他に錦糸南天や松葉蘭なども同様に持て囃され、一種のブームとして狂乱的な状況があったようで、その中で一部の万年青には一芽百両と言ったとんでもない価格がついた例もあったというから驚きですね。解説書として長生主人「金生樹譜万年青譜」(1833年)などが出版されました。これらは天保の改革の際の規制の対象となりました。植木鉢にも専用の万年青鉢が作られました。 明治に入り、栽培の中心は武士階級から富裕階層へと移りました。明治十年頃には京都を中心に大きなブームがあり、一鉢千円(現代の一億円に相当)という例があったそうです。その後も何度かのブームを繰り返しながら推移しています。 愛好者団体としては、1931年(昭和6年)に日本万年青聯合会(1945年〈昭和20年〉に日本万年青連合会に改名)という全国組織が結成され、1992年(平成4年)に当時の文部省の許可を受け社団法人日本おもと協会となり、2011年(平成23年)に内閣府の正式の認可を受け公益社団法人日本おもと協会(品種登録および栽培啓蒙を行っている)となり、現在に至っています。
万年青文(おもともん)について
万年青文(おもともん)は、連続する伸びやかな葉と赤い実をアクセントに、モダンな着物や焼き物のデザインに使用される事が多いようです。
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それから、家紋のデザインには起用されていない様です。。。
何だか切ないですね。
万年青文(おもともん)が使用されたデザイン
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