【解説】兎文(うさぎもん)とは?日本伝統文様にある兎(うさぎ)を徹底解剖!

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兎文 – うさぎもん –

兎文(うさぎもん)は、古くは、飛鳥時代から描かれ、盛んに現れるようになるのは桃山時代から江戸時代にかけてです。
兎(うさぎ)は、神話や民話などの文学から、干支などの方位や時刻など、さらには戦国武将の兜や衣装のモーチフなど様々な所にも適用されています。

そんな古代から現代まで愛されている兎(うさぎ)をデザインした兎文(うさぎもん)をご紹介致します!

 

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兎(うさぎ)とは?

兎(うさぎ)とは?兎(うさぎ)とは、ウサギ目ウサギ科の哺乳類の総称でノウサギ類と、飼い兎(うさぎ)の原種であるアナウサギ類とに分けられます。
ノウサギの夏毛は茶系野生色で、寒冷地では冬毛が保護色で白くなります。ただし耳の縁に黒毛が残り、目は黒色をしています。
これに対し、日本のアナウサギの白色種は色素がなく、眼の網膜の血管が透けて見えるので目の色は赤色となります。
兎(うさぎ)は、体長40~60センチ位で、一般に耳が長く、前肢は短く、後肢は長いのが特徴です。

兎/卯(うさぎ)と十二支

卯(うさぎ)は、十二支の1匹です。
十二支の「うさぎ」は、「兎」ではなく「卯」と表記されます。

十二支では、4番目
卯の方位は、東
卯の刻は、午前6時を中心とする約2時間(午前5時~7時頃)
卯の月(卯月)は、旧暦2月

兎(うさぎ)とことわざ

兎(うさぎ)は様々なことわざ、熟語に使用されています。

二兎を追うものは一兎をも得ず(二とをおうものは一とをもえず)

同時に二つの事を得ようとすると、どちらも成し遂げられなくなってしまうこと(得られないこと)。

兎死すれば狐之を悲しむ(うさぎしすればきつねこれをかなしむ)

同類の不幸をその縁者が悲しむことのたとえ。同類の死は自分にも同じ運命が近づくサインだということ。

兔の罠に狐がかかる(うさぎのわなにきつねがかかる)

思いがけない高運(幸運)のたとえ。

兎の昼寝

兎(うさぎ)は亀を馬鹿にして昼寝をした為、競争に負けた童話から、油断をして思わぬ失敗を招くこと。また、昼寝ばかりしている人のこと。

脱兎の如く(だっとのごとく)

兎(うさぎ)が駆けるようにとても速くて捕まえられないこと。

兎の登り坂

兎(うさぎ)は前足が短くて坂を登るのが巧みであることから、地の利を得て得意の力を発揮すること。

兎の耳

人の知らない事件や噂などをよく聞き出してくること。地獄耳。

兎の糞

長続きしないこと。物事が切れてしまい、思うようにはかどらないこと。

狡兔三窟(こうとさんくつ)

兎(うさぎ)は隠れる穴を三つもっていて、万一の時は、いずれかの穴に逃げ込んで危機を脱する。
いざという時に身を守る用意が大切なことのたとえ。

狡兔死して良狗烹らる(こうとしてりょうくにらる)

獲物の兎(うさぎ)が捕えられて死ねば、猟犬は不要となり、煮て食われる。
敵国が滅びれは、それまで手柄のあった智謀(ちぼう)の家臣は、邪魔となり殺されてしまうことのたとえ。

兎(うさぎ)と戦国武将

意外にも兎(うさぎ)は、戦乱の世を生き抜いていた戦国武将たちから深く愛されたらしいです。
何故兎(うさぎ)が戦国武将に愛されたのか、理由はいくつかあるようです。

✅兎(うさぎ)は多産(たさん)で子孫繁栄の為、襲撃されても全滅のリスクを軽減。
✅兎(うさぎ)はいざという時の為に巣穴を沢山作る、賢さ・用心深さを持つ。狡兎三窟(こうとさんくつ)
✅兎(うさぎ)は俊敏な動きで天敵を欺く。
✅兎(うさぎ)はいざとなれば我が身を犠牲にする誠実さを持つ。(三の獣、菩薩の道を行じ、兎身を焼く語で詳しく説明)
✅月への信仰
✅飛び跳ねる動物=飛躍する

兎(うさぎ)は、可愛い癒し系だけじゃなく、実用的で縁起がいい動物として戦国武将から愛されていたのかもですね^^

兎(うさぎ)と上杉謙信(うえすぎ けんしん)

兜のモチーフとして、意外にも人気が高かったのが兎(うさぎ)です。
現代の私たちからすると、「寂しくて死んじゃう、ふわふわして可愛い小動物」というイメージの兎(うさぎ)ですが、上記説明した事柄から戦国時代には縁起の良い動物として武将達にも好まれたようです。その人気の高さからデザインのバリエーションも豊富です。

兎(うさぎ)の全身を写実的にかたどったユニークなデザインの「兎耳形兜(とじなりかぶと)」もあれば、「黒漆塗兎耳形兜鉢(くろうるしぬりとじなりかぶとはち)」のように兎(うさぎ)の耳だけを大胆にデザインした兜もあります。

「兎耳兜」を愛用した武将と言えば上杉謙信が有名です。
「銀箔押張懸兎耳形兜(ぎんぱくおしはりかけうさぎみみなりかぶと)」は、鉄地銀箔押の鉢から兎耳がまっすぐ伸び、前立には銀箔押革製の三日月が鎮座しています。

もっと色んな「兎耳兜」があるので、興味がある方はリサーチ🔎してみてください^^



兎(うさぎ)と日本の古典文学

日本の古典文学で兎(うさぎ)が登場する作品が主に4つあります。

因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)

因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)

因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)イメージ From いらすとや

因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)とは、「古事記」の上巻に記載されている日本神話の1つです。

この神話に出てくる白兎(しろうさぎ)は、淤岐島(おきのしま)から因幡国(いなばのくに)へ行くため、鰐鮫(わにざめ)を欺いき彼らを因幡(いなば)の国まで並べさせ、白兎(しろうさぎ)はその上をピョンピョンと渡っていきました。
あともう少しという所で気分が良くなった白兎(しろうさぎ)は、「君たちは騙されたのさ」と言ってしまいました。
すると最後の鰐鮫(わにざめ)に体中の毛を剥がされ丸裸にされました。
そこに八十神(やそかみ)が通りかかり、彼らは面白半分に「海水で体を洗い、風に当たってよく乾かし、高い山の頂上で寝ていれば治る」と意地悪な教えを白兎(しろうさぎ)に伝えました。
白兎(しろうさぎ)は、そのまま信じて海水を浴び、痛くて泣いていたところを、大国主命(おおくにぬしのみこと)に救われました。

実は白兎(しろうさぎ)に意地悪な嘘を言った八十神(やそかみ)は大国主命(おおくにぬしのみこと)の兄神達でした。
彼らは隣の因幡(いなば)の国というに八上姫(やがみひめ)という美しい姫がいるという噂を聞きつけ、自分のお嫁さんにしようと、因幡国(いなばのくに)に向かっている途中でした。
その途中に白兎(しろうさぎ)に出遭い、からかったのです。

大国主命(おおくにぬしのみこと)のおかげで、毛が元通りになった白兎(しろうさぎ)は「八上姫(やがみひめ)は兄神達ではなく、あなたを選ぶでしょう。 あのような意地悪な神様達は、八上姫(やがみひめ)に相応しくありません。」と言い残し自らが伝令の神となって、兄神達の到着より前にこの事実を八上姫(やがみひめ)に伝えたました。

これを知らない兄神達は、先を競って八上姫(やがみひめ)に次々に結婚を申し込みましたが、八上姫(やがみひめ)はそっけなく対応し、「私はあなた方ではなく、大国主命(おおくにぬしのみこと)の元へ嫁ぎます」と言い、兄神達を追い返しました。
その後八上姫(やがみひめ)は、大国主命(おおくにぬしのみこと)と結ばれたのです。

この神話に登場した白兎(しろうさぎ)は鳥取県「白兎神社」の御祭神となっています。

白兎神社は、日本最古の書物「古事記」の一節である神話「因幡の白兎」に登場する白兎神が祀られる事から、日本医療発祥、また大国主命と八上姫との縁を取りもたれた日本最古の恋物語の地として知られる、由緒明らかな神社です。
白兎地区の神社周辺には、神話「因幡の白兎」の舞台となった様々な「白兎の神跡」を見ることができます。

出典:白兎神社

 

 

三の獣、菩薩の道を行じ、兎身を焼く語

三の獣、菩薩の道を行じ、兎身を焼く語
上記「兎(うさぎ)と戦国武将」で出てきた「兎(うさぎ)はいざとなれば我が身を犠牲にする誠実さを持つ。」にリンクするお話です。
三の獣、菩薩の道を行じ、兎身を焼く語とは、「今昔物語集」第五巻第十三話集録されているお話の1つです。
日本人なら誰でも「月に兎(うさぎ)がいる」という話を耳にした方は多いかと思います。
このお話は、その出所になったお話です。

昔々天竺(インド)に兎(うさぎ)と狐(きつね)と猿(さる)が一緒に暮らし、菩薩道(ぼさつどう)を修行していました
ある日天井から修行の様子を見ていた帝釈天(たいしゃくてん)がこのような獣達が本当に仏の心を抱いているとは正直信じ難い。よし!一つ試してみようと思いました
そこで、帝釈天(たいしゃくてん)は非力で疲れたヨボヨボの老人に姿を変え三匹の獣のいる所に出向きました
老人は「お腹が空いていて動けない何か食べ物を恵んではくれないか。と言いました。
すると、兎(うさぎ)と狐と猿はこの哀れな老人に施しを行うことが菩薩(ぼさつ)への道につながると思いそれぞれ食べ物を探しに行きました
猿は木に登っていろいろな果実を採ってきて老人に食べさせました
狐はお墓に行って沢山のお供え物を盗ってきて老人に差し出しました
しかし、兎(うさぎ)はどんなに頑張っても何も持ってくることができませんでした
狐と猿は老人(帝釈天)からお褒めの言葉を頂きましたが、兎(うさぎ)は狐、猿、加え老人(帝釈天)にまでも辱めたり嘲り笑ったり時々励ましたりしもしました。
どうにかしようと兎(うさぎ)は覚悟を決め、「もう一度探しに行くので火を焚いて待っていて欲しい。」と伝えて出かけていきました
猿は枯れ木を拾い集め、狐がそれに火を付けて、何かを見つけて帰ってくるかもしれないと期待して待っていると、いつものように兎(うさぎ)が手ぶらで戻ってきました。
猿と狐はこのような兎(うさぎ)の姿を見て怒りがこみ上げ、罵声を兎(うさぎ)に浴びせました。
すると兎(うさぎ)は私には食べ物を取ってくる能力がありません。なのでどうぞ私を食べてください。と言い火の中に飛込み自分の身を老人に捧げました
それを見ていた帝釈天(たいしゃくてん)は老人から元の姿に戻り哀れんで、全ての生き物達にこの兎(うさぎ)の行動を見せる為に、焼け死んだ姿を月の中に移しました。
今でも月の表面に雲のようなものがあるのはこの兎(うさぎ)の焼け死んだ煙ですまた月の中に兎(うさぎ)がいるというのはこの兎(うさぎ)の事です全ての人は月を見る度にこの兎(うさぎ)の行動を思い出すべきです

実は、同じようなお話は青森県の民話にもあるようです
そのタイトルは「お月さまに行ったウサギ」です。
興味がある方を是非調べてみては如何でしょうか^^

【番外編】月と兎(うさぎ)

古代の日本と中国の間には深く交流がありました。
律令制度や仏教、表記文字など、中国からの影響が日本の様々な所でみられます。

この「月と兎(うさぎ)」の組み合わせも、中国文化が深く関わっているようです。
「太陽や月に動物がいる」といった古代中国人の考え方があったようです。
中国の伝説では、月には不老不死の霊薬を搗き続ける兎(うさぎ)とヒキガエルが棲んでいるとされてきたようみたいです。
これを古代日本人はヒキガエルより、可愛い兎(うさぎ)、霊薬より身近にあった餅、に変換をし「月で兎(うさぎ)は餅を搗く」姿に定着した様です。



かちかち山

かちかち山のイメージ

かちかち山のイメージ From いらすとや

かちかち山とは、日本の民話(日本昔話)の1つです。

昔々あるところに、お爺さんとお婆さんがいました。
その老夫婦の畑に狸がやってきてイタズラを繰り返していました。
ある日、やっとお爺さんは狸を捕獲しました。
お爺さんが狸を「たぬき汁」にしようと、御婆さんに捕まえた狸を渡しました。
すると狸はお婆さんに「もう悪い事をしない!お婆さんの家事を手伝うから縄を解いてくれ。」とお婆さんを騙して、解放された後、お婆さんを殺してしまいました。
狸はお婆さんを「婆汁(ばばあ汁)」として料理して、お爺さんが帰宅する前に狸は殺したお婆さんへ姿を変えました。
すると、帰宅したお爺さんを狸は騙して「婆汁(ばばあ汁)」を食べさせました。
それを見届けた狸が正体を現し、お爺さんに残酷な真実を告げ嘲り笑って山に帰っていきました。
お爺さんは追いかけましたが、狸に逃げられてしましました。
お爺さんは友だちの兎(うさぎ)に相談し、兎(うさぎ)はお爺さんの為に復讐をすることにしました。兎(うさぎ)は狸を芝刈りに誘い、兎(うさぎ)は狸が背負った芝に「かちかち」と火打ち道具で狸を欺きながら火をつけました。
その結果、狸は背中にやけどを負いました。
更に兎(うさぎ)は唐辛子入りの味噌を薬だと偽って背中に塗り、狸は痛みで苦しみました。
最後に兎(うさぎ)は狸の食い意地を利用し、狸を漁に誘いました。
兎(うさぎ)は小さい木の船と大きな泥の船を用意し、欲張りな狸は「たくさん魚が乗せられる」と泥の船を選ぶと、兎(うさぎ)は木の船に乗りました。
沖へ出たところで兎(うさぎ)の口車に載せられた狸の泥船が溶け、狸を溺れさせました。
溺れている狸は、兎(うさぎ)に助けを求めました。すると兎(うさぎ)は「お婆さんを殺した罰だ、思い知れ!」と艪(ろ)で狸を沈めて溺死させました。
見事、兎(うさぎ)はお婆さんの仇を討ったのでした。

言わずと知れた「かちかち山」ですが、改めて読んでみると結構生々しいですね。。。

余談ですが、なんと、、、この昔話「かちかち山」を、太宰治が「お伽草紙」で新解釈で書き直し、美少女と男の宿命物語として書いているようです。
これも気になった方は是非調べてみてはいかがでしょうか??

鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)

鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが) 甲巻 より

鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが) 甲巻 より

平安時代の作品で国宝「鳥獣人物戯画」とは、鎌倉期に描かれた墨絵で作者は鳥羽僧正とされているが真相は現在も不明ままだそうです。

よく、「日本最古の漫画(マンガ)」だと言われてたりしますよね^^

こちらに登場する兎(うさぎ)は墨絵のため、瞳の色は黒いですが、耳先端部の黒色部と胸部
の長毛が描かれているので、ノウサギを描いているようです。

 



兎文(うさぎもん)について

兎文(うさぎもん)は、兎(うさぎ)自体も真正面から、真横から、上からといろいろな角度で意匠化され、三羽がうずくまる三つ兎などもあり可愛らしい文様になっています。
幕臣の三橋氏(藤原秀郷流佐野氏族)が丸に兎、同じく幕臣の水島氏(藤原秀郷流下河辺氏族)が丸に向かい兎を使用していた様です。

いくつか代表的な兎文(うさぎもん)をご紹介します。

真向き兎(まむきうさぎ)

真向き兎(まむきうさぎ)家紋:真向き兎(まむきうさぎ)
参考:家紋のいろは

京都府亀岡市の鍬山神社の神紋、愛知県豊川市の菟足神社の神紋、滋賀県栗東市の小槻大社の神紋にもなっています。

丸に真向き兎(まるにまむきうさぎ)

丸に真向き兎(まるにまむきうさぎ)

家紋:丸に真向き兎(まるにまむきうさぎ)
参考:家紋のいろは

真向き兎(まむきうさぎ)の周りに円で囲う、丸に真向き兎(まるにまむきうさぎ)。

三つ兎(みつうさぎ)

三つ兎(みつうさぎ)

家紋:三つ兎(みつうさぎ)
参考:家紋のいろは

真正面から見た3羽の兎(うさぎ)を背中合わせに寄せて描く、何とも可愛い三つ兎(みつうさぎ)。

波に月に兎(なみにつきにうさぎ)

波に月に兎(なみにつきにうさぎ)

家紋:波に月に兎(なみにつきにうさぎ)
参考:家紋のいろは

真正面を向いた1羽の兎(うさぎ)の背後に満月を据えて、左右から波を立たせて丸く描く、波に月に兎(なみにつきにうさぎ)。謡曲の「竹生島(ちくぶしま)」をイメージした家紋らしいです。



兎文(うさぎもん)が使用されたデザイン

兎(うさぎ)の意匠は古くは、飛鳥時代の「玉虫厨子」(法隆寺)の須弥壇(しゅみだん)や、「天寿国繡帳」(奈良中宮寺)で描かれました。
兎(うさぎ)の意匠が盛んに現れるようになるのは桃山時代から江戸時代にかけてです。
名物裂(めいぶつぎれ)の花と兎を組み合わせた花兎文(はなうさぎもん)、中でも有名なのが角倉了以が愛用したとされる名物裂「角倉金襴」、「花兎金襴」などがあり、さらに伊万里や古九谷の焼物、辻が花染や狂言衣裳にも兎文(うさぎもん)は見られます。
波や月、木賊(とくさ)、秋草などとの組合せがよく見られ、それぞれ由来があり、唐草兎文(からくさうさぎもん)、花唐草兎文(はなからくさうさぎもん)や月兎文(つきうさぎもん)などと言います。

歌川国芳 「誠忠義心伝 蔵橋全助武幸」
歌川国芳 「誠忠義心伝 蔵橋全助武幸」
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月岡芳年 「玉兎 孫悟空」月岡芳年 「玉兎 孫悟空」
パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集

兎文イメージ
参考:ビバ!江戸

 

 

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※2023/3/5(日)更新※



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