【解説】桔梗文(ききょうもん)とは?日本伝統文様にある桔梗(ききょう)を徹底解剖!

桔梗文タイトル trivia
桔梗文 – ききょうもん –

桔梗(ききょう)は、キキョウ科の多年草で、日本各地の高原や渓谷の初秋を彩る、秋の七草の1つでもあります。
万葉集で秋の七草として詠まれていたり、平安時代に青みがかった紫色は「桔梗色(ききょういろ)」として日本の伝統色に表現されるなど、桔梗(ききょう)は、日本を代表する花とも言えます。
それ故、古くから人々に愛され、染織品や陶器などのデザインに用いられてきました。
江戸時代の尾形光琳の「秋草文描絵小袖」には、背と右袖に桔梗(ききょう)が描かれており、桔梗(ききょう)を好んで描いていた尾形乾山の「桔梗角皿」は自由奔放にして清雅な印象があります。

そんな桔梗文(ききょうもん)をご紹介致します!

 

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桔梗(ききょう)とは?

kikyou桔梗(ききょう)は、東アジアに広く分布するキキョウ科の多年草です。
日当たりの良い草原によく見られますが、現在の国内ではそのような場所が激減したため絶滅危惧種になっています。
6~9月に開花時期で、茎はまっすぐに伸びて高さ10~120cm、先端近くに直径5~7cmの花を1~10数輪咲かせます。根は太くまっすぐに伸びて、人参を小ぶりにしたような形です。この太い桔梗の根には「サポニン」や「イヌリン」という成分を多く含みます。サポニンは、気道の粘膜の分泌を促すため、咳や痰の鎮静をはかり、イヌリンは、水溶性植物繊維のため、整腸効果があり生薬、漢方薬として用いられた過去があります。そのほか、咳の抑制や糖尿病の予防などの効果も期待できます。

桔梗(ききょう)の名前の由来

中国で生薬として用いられる際の漢名「桔梗(キチコウ)」が転じて、「キキョウ」と呼ばれるようになったのが由来といわれています。
海外では桔梗(ききょう)開花前の蕾が、風船のように膨らむことから「Ballon Flower(バルーン・フラワー)」という面白い名前で呼ばれています。

桔梗(ききょう)の怖い伝説

桔梗(ききょう)の花自体にまつわる、すこし怖い話があります。
それは、平将門とそのお気に入りの妾(めかけ)であった「桔梗姫」の伝説です。
地域によって説が異なりますが、桔梗姫が敵に平将門の秘密を漏らした為に、平将門は殺され、後に自身も悲劇の死を遂げます。そして、その桔梗姫が亡くなった場所では桔梗(ききょう)が咲かなくなってしまったという伝説です。
その他にも、平将門が討ち死にした後、桔梗姫も後を追い、沼に身を投げて自死をしました。その沼の跡地に水田が作られますが、水田を管理する家の娘に不幸が続きました。これが桔梗姫の呪いとされ、そこでは桔梗(ききょう)を植えなくなってしまったという話もあります。

桔梗(ききょう)の意味

桔梗(ききょう)の花言葉は、「永遠の愛」「変わらぬ愛」「誠実」「気品」です。

桔梗(ききょう)の花言葉には、「永遠の愛」「変わらぬ愛」「誠実」には、ある悲恋の物語が由来とされています。
戦争に向かった夫を待ち続ける妻は、夫が無事帰還するのを心待ちにしていました。
妻は、戦争から帰る夫のために宴を準備していたですが、帰ってきた夫に他の男性との結婚なのではないかと疑われてしまうのです。
妻は、夫に自分の誠実さを伝えるために自分の命を絶ちます。その後、妻の本当の想いに気付いた夫も自ら命を絶ってしまうといった物語です。
とても悲しい物語ではありますが、妻の夫に対する「変わらぬ愛」「誠実さ」は桔梗(ききょう)の花言葉として現在でも伝わり続けています。

しかし、この由来の物語には諸説あり、西洋に伝わる帰らぬ恋人を生涯待ち続けた女性の物語が由来になったという説もあります。

色別での桔梗の花言葉

更にカラー別で花言葉が違います。

青や紫の桔梗

kikyou-blue紫色・青色の桔梗(ききょう)の花言葉は「気品」です。青紫色は、高級感がありつつも落ち着いた色合い、布のような質感の花びらが気品を感じさせます。

ピンクの桔梗

kikyou-pinkピンク色の桔梗(ききょう)の花言葉は「幸薄」です。少しマイナスな印象ある花言葉ですね。贈り物、プレゼントなどには避けた方が無難と言えるでしょう。

白の桔梗

kikyou-white白い桔梗(ききょう)の花言葉は「清楚」「従順」です。

桔梗(ききょう)と万葉集

桔梗(ききょう)は万葉集にも登場しております。
万葉集に出てくる「あさがお」とは、桔梗(ききょう)を指すのでだろうといわれています。

万葉集 作者不明
「朝顔*は 朝露負(お)ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさりけれ」
*朝顔=桔梗(ききょう)とされています。

桔梗(ききょう)と明智光秀

桔梗(ききょう)は家紋としても使われているという事実は、有名なお話ですよね。
家紋として使われるようになったのには、土岐光衡(ときみつひら)が、兜に「桔梗」をさして戦に出向いたところ、大勝利をおさめたことがきっかけ。それ以降「桔梗」を家紋として使うようになったといわれています。

また、桔梗(ききょう)は「更に吉」と書くため、語呂合わせで縁起をかついだとする説もあります。ちなみに、明智光秀も土岐氏一族であるため、水色の「桔梗紋」を使っています。しかし、本能寺の変が起きて以降は、「水色桔梗紋」は裏切りの紋とされ、「桔梗紋」をやめる武士が続出しました。また、本能寺の変で討たれた織田信長の子孫は、桔梗(ききょう)の花を飾らないそうです。

日本の伝統色:桔梗色

桔梗色(ききょういろ)桔梗色(ききょういろ)は、桔梗の花のような青みがかった紫色です。

紺桔梗(こんききょう)紺桔梗(こんききょう)は、桔梗色(ききょういろ)に紺色を含ませたような、濃い青紫色です。

 



桔梗文(ききょうもん)について

いくつか代表的な桔梗紋(ききょうもん)をいくつかご紹介します。

桔梗(ききょう)

桔梗 家紋:桔梗(ききょう)
参考:家紋のいろは

桔梗紋(ききょうもん)は、桔梗の花を意匠化した家紋です。有名な戦国武将の明智光秀や脇坂安治、金森長近などの家紋です。京都福知山御霊神社の神紋でもります。

丸に桔梗(まるにききょう)

丸に桔梗

家紋:丸に桔梗(まるにききょう)
参考:家紋のいろは

丸に桔梗紋(まるにききょうもん)は、桔梗紋(ききょうもん)を中央に、その周りを丸で囲うデザインの紋です。山口県山形神社の神紋でもあります。

土岐桔梗(ときききょう)

土岐桔梗

家紋:土岐桔梗(ときききょう)
参考:家紋のいろは

土岐桔梗紋(ときききょうもん)は、桔梗の花弁の先を湾曲させた桔梗の蕊(しべ)の部分を剣の様にデザインの紋です。上野沼田藩土岐氏が用いたことから土岐桔梗紋(ときききょうもん)と呼ばれています。因みに明智光秀は、この土岐氏の出身です。

丸に一文字割り桔梗(まるにいちもじわりききょう)

丸に一文字割り桔梗

家紋:丸に一文字割り桔梗(まるにいちもじわりききょう)
参考:家紋のいろは

丸に一文字割り桔梗(まるにいちもじわりききょう)は、漢数字の「一」の文字が特徴的な桔梗紋の1つです。三河の松平氏に仕えた植村氏の定紋で、別名「植村割桔梗(うえむらわりききょう)」とも言われています。

 



桔梗文(ききょうもん)が使用されたデザイン

桔梗(ききょう)は本当に沢山の人から愛されてきた花の1つです。
江戸時代の尾形光琳の「秋草文描絵小袖」には、背と右袖に桔梗(ききょう)が描かれており、桔梗(ききょう)を好んで描いていた尾形乾山の「桔梗角皿」は自由奔放にして清雅な印象があります。
唐織、縫箔、腰帯、小袖などの秋草文の中に効果的に桔梗(ききょう)を配置しているデザインが目立ちます。
桔梗(ききょう)や桔梗文(ききょうもん)が使用されたデザインを浮世絵でご紹介致します。

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※2024/07/13(土)更新※



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