日本の「秋」を感じる、紅く染まる美しい山々の姿は本当に美しいものですよね。
平安時代には「紅葉の賀」が催されるなど、古来から紅葉(もみじ)は日本人に親しまれていたようです。そういったことで貴族の間では、衣服の文様として愛用され、やがて家紋に転化したとされています。
紅葉(もみじ)は特定の植物名を指すものではありませんが、家紋では「楓の葉」が使われています。葉単独のもの、葉と枝の組み合わせたもの、蝶形にしたものなど様々なバリエーションがあります。
使用家は公家の今出川家、小笠原氏流の市川氏、平氏良文流の高山氏、日下部氏流の八木氏、近代ではあの1万円札の代名詞だった福沢諭吉など。
そんな楓文(かえでもん)をご紹介致します!
楓(かえで)とは?
上記の画像みたく手のひらのような赤く色づいた葉を持つ植物を、多くの日本人は「もみじ」と呼びますよね。
「紅葉狩り(もみじがり)」、「紅葉前線(もみじぜんせん)」、「紅葉に鹿(もみじにしか)」、「紅葉傘(もみじがさ)」など、紅葉と書いて「もみじ」と読む慣用句も多いことも、【紅葉=もみじ】というイメージが定着している理由のひとつだと考えられます。
しかし、「紅葉(こうよう)」と「紅葉(もみじ)」は厳密に言えば違う意味がある言葉なのです。
「紅葉(こうよう)」とは、基本的には寒暖差が激しくなると起こる葉の色が赤や黄色に変わる自然現象や景色を表す時に用いられる呼び方です。紅葉とは秋になると葉が紅色に変わり、晩秋の山々を美しく彩るのでこう呼ばれたみたです。そのため、秋に色が変わる様々な植物に対して使われる言葉です。因みに、漢名は鶏冠木というそうです。
また、「紅葉(もみじ)」とは「楓(かえで)」の葉の別名としても使われ、基本的には植物自体を表す時に用いられる呼び方です。それと同時に、秋に葉の色が変わり赤や黄色に色付くことに対しても使われている言葉のようです。これは、「紅葉(こうよう)」と同じ意味も含まれているということになりますよね。
つまり、「楓(かえで)の葉が紅葉(こうよう)することで、紅葉(もみじ)になる」とも言えます。
しかし、「楓(かえで)の葉が紅葉(もみじ)することで、紅葉(こうよう)になる」とは言わないですよね。
なんだか日本語って不思議^^
さて、続きまして、楓(かえで)と紅葉(もみじ)って違いがあるのか?問題です。
多分、多くの日本人は葉の見た目で楓(かえで)か紅葉(もみじ)を呼び方を変えているかと思います。
例えば、葉の切れ込みが深いモノを「●●モミジ」、葉の切れ込みが浅いモノを「●●カエデ」などと何となく呼んでいませんか?
実は、私たちが楓(かえで)とも紅葉(もみじ)呼んでいる植物は、ムクロジ科カエデ属(カエデ科カエデ属)に分類されていることから、植物学上では楓(かえで)と紅葉(もみじ)を区別する定義はなく、モミジ属は存在しないのです。
紅葉(もみじ)という言葉は日本特有のもので、英語ではカエデがmaple、紅葉(もみじ)がJapanese mapleと訳されており、同じカエデ属の植物ということがワールドワイドで明確ですね。
では、なぜ日本では紅葉(もみじ)とカエデ、それぞれを違う名前で呼んでいるのでしょうか?
紅葉(もみじ)は、古来使われていた「もみづ」という動詞が由来になっているようです。
この言葉から派生したのが名詞の「もみぢ」で、昔は草木が色づいた様を「もみぢ」と表していたようなのです。
それが転じて、カエデの中でも特に真っ赤に色づく種類を「紅葉(もみじ)」と呼ぶようになり、「もみじ」と名が付く植物は、大きく分ければイロハモミジ、ヤマモミジ、オオモミジの3種類みたいです。切れ込みが深い葉で、葉の数が5つ以上に切れ込んで手のひら状のモノを紅葉(もみじ)と呼んでいるようですね^^
楓(かえで)は、カエデ科カエデ属の植物の総称を指し、古名を葉の形が蛙の手に似ているところから、蛙手(かえるで)が「かえで(楓)」に変化したと言われています。
こちらは、切れ込みが浅い葉で、葉の数が3つ程度に切れ込んだモノを日本では「かえで(楓)」と呼び分けているようです^^
冒頭に、みなさんが見た目で「モミジ」か「カエデ」となんとなく呼び方を変えていた感覚は。あながち間違いではないようですね。
まぁ実際、植物学上はすべて「楓(かえで)」になりますけどね^^
楓文(かえでもん)について
日本では楓(かえで)は、古くから人々に愛され観賞されてきました。
藤原時代(平安時代の中期・後期)には、紅葉(こうよう)を観賞する「紅葉の賀」という賀宴(がえん)が設けられる程、楓(かえで)は昔から日本人に親しまれてきました。
楓(かえで)は、和歌としても多く、「万葉集」では「黄葉」をあてている歌があり、特に「古今和歌集」は紅葉(こうよう)をテーマとした歌が数多くあります。
さらに楓(かえで)は、平安時代より貴族の間で衣服の文様として愛用されてきました。その証拠に、「枕草子」や「栄華物語」にもその様子が残されているそうです。
楓文(かえでもん)は紅葉文(もみじもん)とも言われます。
鹿と組み合わせて秋の風情を、また流水との組み合わせも多いです。紅葉する前の緑の楓を【青楓(あおかえで)】や【若楓(わかかえで)】といって区別することもあります。
さらに楓(かえで)は、桃山時代以降には、代表的な植物文・家紋になったとされています。
楓紋(かえでもん)の図柄は1枚の葉や複数枚の葉で描かれたものなど様々です。
一つ楓、菱楓、尻合わせ三つ楓、杏葉楓など葉単独のもの、楓枝丸、枝紅葉、紅葉枝丸など、葉と枝を組み合わせ丸くかたどったもの、楓胡蝶、楓蝶、変わり楓蝶など蝶形のもの、糸輪に三つ楓、細輪に立ち楓、本国寺紅葉など丸の中に楓を入れたものなどがあります。
家紋としては、公家の藤原北家閑院流の今出川氏、源義光流の市川氏、日下部氏流の八木氏、桓武天皇の4世平良文流の高山氏、などが使用しました。
近代の有名人では、一万円札に描かれている福沢諭吉が家紋として楓紋(かえでもん)を使っていました。
楓文(かえでもん)を掲げる有名戦国大名・武将・神社
今出川氏(いまでがわし)と丸に三つ楓(まるにみつかえでもん)
家紋:丸に三つ楓(まるにみつかえで)
参考:家紋のいろは
楓紋(かえでもん)で有名なのは、藤原北家閑院流の今出川氏(いまでがわし)です。
今出川氏は右大臣西園寺兼季が、京の今出川に邸を構えたことから家号となったもので、今出川氏の家紋は「丸に三つ楓(まるにみつかえでもん)」とよばれ、三つの楓の葉が葉先を中心に向けたものです。風雅を愛する公家においては多用されるように思われるが、唯一、今出川氏だけが用いているみたいです。
それはきっと綺麗に紅葉した楓(かえで)は、刹那の美しい姿を残しつつ、儚く散っていく様子が家紋としてはあまり縁起が良くないと感じたからでしょう。
土居氏(どいうじ)と秋葉神社(あきはじんじゃ)と一つ楓紋(ひとつかえでもん)
家紋:一つ楓(ひとつかえで)
参考:家紋のいろは
戦国武将では、伊予の西園寺氏を支えた穂積氏流の土居氏が「一つ楓紋(ひとつかえでもん)」です。
穂積氏流の土居氏とは、土居氏の出自は『清良記』によれば、紀伊国牟婁郡土居の鈴木党に発する伝えられている。鈴木重家は文治五年(1189)源義経に従って奥州下向にあたり、嫡子千代松(太郎清行)を伊予の河野通信に依頼したという。清行は宇和郡土居中村を与えられて土居氏を名乗り、子孫相継いで清宗に至ったと伝えられている。
戦国時代、清宗は大森城を根拠として活躍する。また、文武兼備の勇将でもあった。
因みに、静岡県にある秋葉神社(あきはじんじゃ)の神紋(しんもん)もこの「一つ楓紋(ひとつかえでもん)」です。
秋葉神社は山自体が神体で、秋の紅葉の美しさは格別のもので、神紋の「七葉紅葉」はそこから生まれたものだと言われています。
龍田大社(たつたたいしゃ)と八重の楓紋(やえのかえでもん)
家紋:八重の楓(やえのかえで)
参考:家紋のいろは
奈良県三郷町にある龍田大社(たつたたいしゃ)の神紋(しんもん)はこの「八重の楓紋(やえのかえでもん)」です。
龍田大社は古来紅葉の名所として知られる所で、伝によれば「あるとき、五穀凶作数年におよび、心を痛めたときの帝は、竜田川に禊をされ一心に祈願をされた。すると、夢枕に竜田神があらわれた。慶んだ帝は竜田川を流れる八葉の紅葉を捧げ、神は帝の願いを聞き届けられた。」これにより神社が建立され、楓が神紋になったみたいです。両社に関わる社家や氏子が、家の紋として楓を用いている例も少なくないみたいですね。
福沢諭吉(ふくざわゆきち)と割り楓紋(わりかえでもん)
家紋:割り楓(わりかえで)
参考:家紋のいろは
1984年から一万円札に描かれている福沢諭吉(ふくざわゆきち)は、家紋に「割り楓紋(わりかえでもん)」を使用していました。
映画などで福沢諭吉が描かれる際も、割り楓紋の紋付を着ていることが多いそうです。また、福沢諭吉の息子の墓には楓紋が刻まれています。
その他と楓紋(かえでもん)
大和武士として勢力のあった古市氏(ふるいちうじ)が「楓に菊紋(かえでにきくもん)」を用いたり、その他、清和源氏義光流の市川氏、桓武平氏良文流の高山氏、日下部氏流の八木氏などが楓紋を用いているが、他の紋と比較するとその普及度は相当に低いようでなのです。
やはり、 紅葉したのち散っていく様子は美しいものの、縁起を担ぐ家紋としては敬遠された結果かも知れないですね。。。
楓文(かえでもん)が使用されたデザイン
水野年方 「三井好 都のにしき 紅葉狩」 (1905-1906)
参考:パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集
水野年方 「三十六佳撰 夕陽 慶安頃婦人」 (1893)
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楊洲周延 「二十四孝見立画合 第五号 董永」 (1890)
参考:パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集
楊洲周延 「二十四孝見立画合 第十号 郯子」 (1890)
参考:パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集
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