粟文(あわもん)は、文様として衣装や道具などにはあまり用いられていなかったようです。
近世になって着物や陶器などに落とし込まれるようになったとか。
しかし、稲が日本に持ち込まれる以前の古くから栽培されていたであろう粟(あわ)が、なぜ文様としてデザインしてこなかったのか。。。とても不思議でありますね。
そんな摩訶不思議な粟文(あわもん)をご紹介します!
粟(あわ)とは?
粟(あわ)は、イネ科の多年草の一年生作物で五穀の1つとされています。
日本では米や稲より早く栽培が始まり、縄文時代から食された、ごく身近な植物だったみたいです。
東日本の山村では粟(あわ)や稗(ひえ)に似せた作物を庭先などに立てて豊穣を願う行事「粟穂稗穂(アワボヒエボ)」が残されているそうです。
粟(あわ)は日本人の食の源だったのですね!
最近ではヘルシー食材として注目っされていますよね!
粟(あわ)にはモチ種とウルチ種があり、直径1.5ミリ程の小粒の雑穀です。
殻の色で、赤粟、黄色粟、紫粟などと分けられ、品種も多様です。
ほかの雑穀に比べ甘くてクセがないので、お菓子の材料にも活用されます。
さらに粟(あわ)は、豊富な鉄分や、ビタミンEやパントテン酸も多く含んでいます。
パントテン酸は、三大栄養素(タンパク質、糖質、脂質)の代謝に欠かせない微量成分で、解毒作用もあり、免疫力をアップさせるパワーにすぐれています。
粟(あわ)ってスーパーフード!!!
粟文(あわもん)について
抱き粟(だきあわ)
参考:家紋のいろは
粟文(あわもん)は文様としては新しいといえます。
薄(すすき)と同じ頃に穂をつける粟(あわ)を穀物というよりは沼地の秋草としてとらえて文様化したようですね。
さらに図柄は葉や穂を大きく描き丸くかたどった、一つ粟の丸、抱き粟、変わり抱き粟、違い抱き粟、また丸の中に粟を描いた丸に抱き粟、丸に違い抱き粟などの種類があります。
同じ作物の稲紋とよく似ており区別が難しいものもあります。
名字に粟の字が付く粟田氏、粟沢氏などに使用されています。
粟文(あわもん)が使用されたデザイン
伊藤若冲 「秋塘群雀図」 (1759)
参考:パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集
あまり参考になるものがなく…
見つけ次第追加します!
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