現在では、紫陽花(あじさい)が好きな日本人は多いですよね。
しかし、昔の日本ではそうでもなかったようです。何だか意外ですよね⁉
紫陽花(あじさい)は日本古来の植物であるにもかかわらず、万葉集に詠まれている紫陽花(あじさい)の歌は2首のみです。
人気の高かった萩と梅がそれぞれ140首と120首、桜が40首あることからも、紫陽花(あじさい)は昔の方にはあまり注目、人気がなかった事が解ります。
江戸時代になって松尾芭蕉が詠むまで、日本の古典文学にはほとんど紫陽花(あじさい)は登場していないらしいのです。
人気がなかった理由の一説には、紫陽花(あじさい)は開花してから花の色が変わっていくことが「移り気」あるいは「不道徳」であると考えられたという説があるそうです。
紫陽花(あじさい)が観賞用として親しまれるようになったのは戦後との事です。
もしかしたら、品種改良が行われる前の紫陽花(あじさい)は「美しい花」に見えない植物で、あまり注目されなかったのでしょうか。。。
そんな紫陽花(あじさい)を模した紫陽花文(あじさいもん)をご紹介致します!
紫陽花(あじさい)とは?
紫陽花(あじさい)はアジサイ(ユキノシタ)科アジサイ属で日本原産の植物です。
日本に自生している紫陽花(あじさい)は、「額紫陽花(がくあじさい)」と呼ばれる品種で、海岸沿いで自生することから別名「浜紫陽花(はまあじさい)」とも呼ばれらしいです。
現在、最も一般的に植えられている球状の紫陽花(あじさい)は西洋紫陽花(せいようあじさい)であり、日本原産の額紫陽花(がくあじさい)を改良した品種です。
紫陽花(あじさい)は、落葉低木です。
樹高は1〜2mほどで、はっきりと葉脈が浮き上がり、光沢のある葉っぱをつけます。
紫陽花(あじさい)の花のように見える部分は、花びらではなく葉が変形した萼(ガク)と呼ばれるものです。
萼は別名「装飾花」と呼ばれ、色づいているので外見上は花びらのように見えます。
萼は種を作りませんが、中央に隠れている5枚の花びらと、10本の雄しべがくっつくことで種を実らせます。
開花時期は5〜7月頃にかけてピンクや青色の花を咲かせ、雨に打たれても美しく凛とした姿から、梅雨の代名詞ともいわれています。
名前の由来
「紫陽花(あじさい)」の名は「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が訛ったものと言われています。
また、漢字表記の「紫陽花」は唐の詩人・白居易が別の花(ライラックという説があります)に名付けたもので、平安時代の学者で歌人の源順(みなもとの したごう)が、その花を日本の紫陽花(あじさい)と同じ花と考え、この漢字をあてがったとされています。
そのため日本では現在まで「紫陽花=あじさい」として受け継がれている訳です。
因みに、紫陽花(あじさい)の学名は「ハイドランジア(Hydrangea)」で、ギリシア語の「hydro(水)」と「angeion(器)」に由来します。
「水の器」を意味する紫陽花(あじさい)の学名は、雨の季節に凛と咲く紫陽花にピッタリですよね。
花言葉
紫陽花(あじさい)全般の花言葉は「乙女の愛」「辛抱強い愛」「浮気」「移り気」「冷淡」「辛抱強さ」「冷酷」「無情」「高慢」です。
このように、ポジティブな花言葉とネガティブな花言葉をもっています。
「移り気」「浮気」といったネガティブな花言葉は、土の成分によって花色が変わる性質に由来しています。
ポジティブな花言葉は、日本由来が多いようです!
そんな紫陽花(あじさい)のポジティブな花言葉は、江戸時代に起こったあるエピソードに由来しているようです。
江戸時代、鎖国時代に来日していたドイツ人医師のシーボルト(1796〜1866年)は、お滝さんという美しい女性との間に娘をもうけますが、やがて国外追放となって日本を去ることとなりました。
ドイツに帰国するとき、紫陽花(あじさい)を持ち帰り、お滝さんにちなんで「オタクサ」という名前で紹介したことから、「乙女の愛」「辛抱強い愛」といった花言葉がついたようです。
また、花がギュッと集まって見える様子から、「家族団らん」「和気あいあい」など、温かみのある花言葉もあります。
さらに、各色別に花言葉はついているようですよ^^
ピンクは「元気な女性」、青は「辛抱強い愛情」、白は「寛容」。
紫陽花の多彩なイメージから、さまざまな花言葉が存在するのですね。
別名
紫陽花(あじさい)の別名は沢山あります。
その中の8つ紹介致します^^
愛されてるんやん!!!
七変化(しちへんげ)
紫陽花(あじさい)は、土壌の性質や開花からの日数によって様々な色に変化します。
花の色は「アントシアニン」という色素によるものです。
土壌のpH(酸性度)によって色が変わり、酸性なら青、アルカリ性なら赤になるといわれています。
日本の土壌は弱酸性が多いため、青や青紫の色になりやすいようです。
また、開花から日が経つにつれて徐々に色が変化し、最初は花に含まれる葉緑素の影響で薄い黄緑色、それが分解されていくとともにアントシアニンや補助色素が生合成され、赤や青に色付いていくのです。
さらに日が経つと有機酸が蓄積されて青色の花も赤味を帯びていきます。
そのため、紫陽花(あじさい)の別名は「七変化」
変化する色は「移気」「浮気」といった花言葉にも反映されています。
また、別名とは異なり、山紫陽花(やまあじさい)には七変化という品種もあります。
八仙花(はっせんか)
「七変化」のように花色が変化することが由来です。
八仙花はもともと中国での呼び名でしたが、日本でも後に別名として呼ばれるようになったようです。
七変化と同じように、花の色を変える様子を8人の仙人に例えて付けられた中国での呼び名の1つです。
因みに八仙とは、中国の8人の仙人のことです。
四片・四葩(よひら)
紫陽花(あじさい)の花に見える部分は額(がく)と呼ばれ、実際は花びらではありません。
その額(がく)が4片集まっていることから「四片」とも呼ばれています。
さらにこの「片」とは「片(ひら)」で花びらの数え方です。
「四片、なるほど!」とは思いますが、紫陽花(あじさい)の花に見える部分は額(がく)であり花びらではないので、昔の人々は額(がく)が花びらだと思っていたのかもしれませんね。
因みに俳句では「四葩」と書かれることが多く、夏の季語として使われます。
手鞠花(てまりばな)
「手鞠花」は紫陽花(あじさい)の丸いボールのようなフォルムからこのような別名が付けられました。
手鞠とは糸を巻いて作られたボールのことで、日本古来の遊具である手毬です。
春〜初夏に、紫陽花によく似たオオデマリという花が咲きますが、こちらの別名も手毬花で紫陽花(あじさい)の別名と同じですね。
またぶりぐさ
室町時代の歌学書である「言塵集(ごんじんしゅう)」では紫陽花(あじさい)のことを「またぶりぐさ」と書かれている為、この別名が付いたようです。
さらに昔、地域によっては紫陽花(あじさい)の葉をトイレットペーパーとして使っていたことが由来のようです。
オタクサ
「オタクサ」は紫陽花(あじさい)の特徴が由来ではありませんが、紫陽花(あじさい)の別名として知られています。
江戸後期に現在の長崎に渡来したドイツ人の医師・シーボルトは、日本滞在中に「お滝さん」という女性と恋に落ちました。
紫陽花(あじさい)を愛していたシーボルトは、紫陽花に「オタクサ」と名付けました。
これがオタクサの由来です。
紫陽花(あじさい)は昔から長崎で愛されていた花で、日本は当時鎖国時代でしたが、シーボルトが紫陽花(あじさい)をオタクサという名前でヨーロッパに紹介しました。
ドイツ人医師のシーボルトは著書「日本植物誌」でも紹介しています。
ヨーロッパに渡った紫陽花(あじさい)は「東洋のバラ」と言われ人気に火つき、各地で品種改良が行われました。
やがて、「ハイドランジア(西洋紫陽花)」として、日本に逆輸入されることになるのです。
なんだか素敵なストーリーですよね♥
日本を追い出された彼が、西洋紫陽花として再来日しただなんて…ロマンティック♥
現在でも長崎では毎年5~6月に「長崎おたくさまつり」が開催され、長崎市内のさまざまな場所で紫陽花(あじさい)が観賞できます。
額花(がくばな・がくのはな)
「額花」は、日本原産である額紫陽花(がくあじさい)の別名です。
中心にある小さい部分が花で、その周りが額(がく)で覆われています。
この額(がく)の部分が額縁のように見えることから、額紫陽花(がくあじさい)と呼ばれるようにたりました。
本紫陽花(ほんあじさい)
本紫陽花(ほんあじさい)は、額紫陽花(がくあじさい)と本紫陽花(ほんあじさい)を区別するための別名です。
紫陽花(あじさい)を種類で分けたとき、手まり咲きするものを本紫陽花(ほんあじさい)と呼びます。 今では、本紫陽花(ほんあじさい)が一般的だと思われていますが、実は額紫陽花(がくあじさい)が原種で、いわゆる普通の紫陽花(あじさい)は額紫陽花(がくあじさい)から栽培されたものになります。 因みに、本紫陽花(ほんあじさい)が西洋で品種改良されたものは、「西洋紫陽花」になります。
紫陽花文(あじさいもん)について
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紫陽花文(あじさいもん)は、江戸時代の清水焼や九谷焼の金襴手文様(きんらんでもんよう)に見られ、江戸時代後期の陶芸家の仁阿弥道八(にんなみどうはち)などが作品に用いてきました。
紫陽花文(あじさいもん)が使用されたデザイン
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※2021/12/27(月)更新※
※2023/06/23(金)改修※
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